ジョアン・カルロスJoao Carlos Da Silva Costa
監督
1984 U20バスコ・ダ・ガマ(ブラジル)
1989 アル・ヒラル(サウジアラビア)
1990 アル・ヒラル(サウジアラビア)
1993 アメリカ(ブラジル)
1995 リオブランコ(ブラジル)
1995 ブラガンチーノ(ブラジル)
1996.1 鹿島アントラーズ
1998 アトレチコ・パラナエンセ(ブラジル)
1999 アラサトゥーバ(ブラジル)
1999 U20ブラジル代表
1999 ウニオン・サンジュアン(ブラジル)
1999 名古屋グランパスエイト
2001.8 セレッソ大阪
2002 CRフラメンゴ(ブラジル)
2003 コンサドーレ札幌
2005 ジャマイカ代表
2007 アル・ターイ(サウジアラビア)
2007.9 CRB(ブラジル)
2008 トゥピFC(ブラジル)
2008 CRB(ブラジル)
2008.12 ティグデス・ド・ブラジル(ブラジル)
 
コーチ
1988 CRフラメンゴ(ブラジル)
1989 CRフラメンゴ(ブラジル)
1990 CRフラメンゴ(ブラジル)
1991 CRフラメンゴ(ブラジル)
1992 CRフラメンゴ(ブラジル)
 
フィジカルコーチ
1979 CRフラメンゴジュニアユース(ブラジル)
1985 CRフラメンゴユース(ブラジル)
1986 CRフラメンゴ(ブラジル)
1991 U17ブラジル代表
1992 U20ブラジル代表

Jリーグで最も成功した監督だろう。96年にアントラーズの監督となって以来、96年にJリーグ、97年にはスーパーカップ、1stステージ、ナビスコカップ、天皇杯、98年にはスーパーカップとあらゆるタイトルを総なめにしている。特に97年には年間総合勝ち点ではJリーグ王者のジュビロを上回っており、その年の他のタイトルを全て獲得していただけにJ史上最強のチームを作ったと言っても過言ではないだろう。98年の夏、キャンプに遅れて合流したジョルジーニョと確執が生まれ、選手がサッカーの主役という自らの理論より監督自身が辞任した。99年にはチームの熟成をはかる名古屋グランパスに召集され、シーズン途中からチームを指揮したにもかかわらず、見事に天皇杯優勝に導いている。しかし、主力選手との確執から2001年の夏に解任。その後はセレッソの監督に就任した。一時は日本代表の監督への就任も噂された。03年はコンサドーレを指揮してJ1昇格をはかったものの成績不振で8月に退任。99年にはナイジェリア・ワールドユースで指揮をとっている。
ポジション監督
生年月日(年齢)1956年01月15日(62)
出身校ガマフィールド大
背番号リーグカップ天皇杯年間推定年俸
199630(-)-(-)-(-)30(0)
199732(-)-(-)-(-)32(0)
199811(-)-(-)-(-)11(0)5000万円
合計73(0)0(0)0(0)73(0)