柳沢 敦Yanagisawa Atsushi
1996 鹿島アントラーズ
2003.7-04.6 サンプドリア(イタリア)[R]
2004.7-05.6 メッシーナ(イタリア)[R]
2005 メッシーナ(イタリア)
2006.3-6 鹿島アントラーズ[R]
2006.7 鹿島アントラーズ
2008 京都サンガF.C.
2011 ベガルタ仙台

代表歴
ワールドユース:97予/97
オリンピック:96予/00予/00
A代表
アジア大会:00
ワールドカップ:02/06予/06

Jリーグのチームから誘いがかかるまでは高校のウルグアイ人コーチを通じてウルグアイに留学するつもりだったらしいが、高校2、3年頃から数チームから誘いを受け始める。入団を予定していたマリノスを始め、何球団もの誘いを振り切って最後はジーコの誘いに乗った。アントラーズに入団後、直ぐに試合で才能の片鱗を見せ始めた。卓越した得点能力は日本人離れしている。ボディバランスは決して当たり負けせず、強引に行くこともできる。そして何よりの特徴はスペースをクリエイトする動きと、使う動き。近代サッカーには欠かせないスペースの使い方をしっかりと心得ている。フォワードが得点しなくてもスペースを活かすことが出来れば、チームは勝利を収めることが出来る。重要なことは得点することではなく、チームが勝利すること。そのコンセプトは決して間違ってはいない。97年新人王。99年はスランプのままに終わってしまったが、2000年は3冠を達成し、01年はチーム得点王となり、リーグ優勝に貢献、代表でもゴールを量産し、W杯に向けた代表でレギュラーを確保しつつある。ペルージャからのオファーを断って備えた02年W杯ではベルギー戦、ロシア戦にて計2アシスト。その後、セリエAでプレーするも結果を出せずに06年に復帰、再びW杯のメンバーに選出される。しかしアントラーズでは度重なるケガと田代の成長により出場機会が減少、08年にサンガへ完全移籍した。
ポジションFW:ストライカー
生年月日(年齢)1977年05月27日(46)
身長・体重177cm・72kg
血液型O型
利き足/スパイク右/PUMA→Mizuno
ベストイレブン98年,01年,08年
出身地富山県射水群
出身校富山第一高
背番号リーグカップ天皇杯年間推定年俸
19968(5)6(1)1(0)15(6)1200万円
19971325(8)9(2)5(2)39(12)2000万円
19981332(22)5(0)1(0)38(22)2300万円
19991326(9)3(1)2(0)31(10)3000万円
20001326(6)3(0)3(1)32(7)2500万円
20011326(12)5(2)1(1)32(15)3700万円
20021327(7)3(0)5(1)35(8)3年5000万円
2003138(2)-(-)-(-)8(2)3年5000万円
20061323(4)3(1)2(1)28(6)3年1500万円
20071319(5)6(2)5(2)30(9)3年4000万円
合計220(80)43(9)25(8)288(97)