(10/ 4[金])ようやく鹿島らしく

ようやく鹿島らしくなってきた。と、言ってもシーズンが後半になってきて、勝負所をしっかりと押さえられるとかそういう意味じゃない。ようやく鹿島らしい選手が増え始めたと言う意味である。

長谷川は昔から鹿島らしい選手だった。ジーコイズムとも言う鹿島らしい精神を持った選手だ。最後まで諦めない、自分に出来るベストを尽くすためには何が必要かをどん欲に、謙虚に考え続けられる選手だ。今の長谷川は90分間試合を戦えるコンディションにないが、自分の出場できる範囲で必ずチームに貢献してくれる。たとえ長谷川がゴールを奪わなくてもスタジアムの雰囲気を感じれば、長谷川がいかにチームにいい影響を与えているかがわかる。人間がやるスポーツであるからには技術、戦術を超えた部分は必ず存在する。長谷川は今でも鹿島らしい選手なのである。

ようやく鹿島らしくなってきたと言うのはそんな、鹿島らしい精神を持った選手が長谷川だけではなく増えてきたと言うことを言いたいのだ。

最近の本山は素晴らしい。彼がどれだけのテクニックを持っているか、どれだけチームに結果に残るような貢献が出来るようになり始めたかと言う話ではない。最近の本山は90分間つねに勝利に対してどん欲であり、時に味方を怒鳴りつけるほど、必死に試合を戦っている。テレビで本山のプレー姿をアップで見たときには、ワールドカップの予選リーグA組第3節のセネガル戦のウルグアイのレコバの形相を思い出したほどだ。あの技術を持った本山がこの姿勢でプレーしている限り、アントラーズはこれから磨きが掛かっていく時期にあると確信した。

そして、アウグストは去年の加入からいつでも手を抜かない。相手の支配下に収まってしまったかに思えるルーズボールを必死に追いかけ、奪い取り、サイドを突破し始める様は見ているだけで嬉しくなる。これまでの鹿島にはこういう必死さとそれをプレーに結びつける技術をもった選手がいなかった。おまえのポジションはどこだ?と聞きたくなる場所にいることも多々あるが、その場所にいることがチームを勝利に導くために必要な場所であるから彼は誰に何を言われようともそこに行こうとする。アウグストがこの必死さを見せてくれる限りは彼の欠点に目を向ける気にはならない。アウグストの手を抜くことのないプレーはそれだけで価値がある。

中田もいい。甘いマスクと安定した技術、輝かしい代表歴に惑わされがちだが、中田は鹿島でも1、2を争うぐらい勝利に対してどん欲である。ポジション柄、いつでもゴールを狙う位置にいることは難しいが、チームが劣性にあるときにはとにかくゴール前まで攻撃陣をサポートにいく。当然攻守が切り替われば、自分の仕事をするために直ぐに後ろに戻る。そして再び攻守が切り替わればまた攻撃陣をサポートに行く。かと思えば、チームの勝利のためにはリードしているときはしっかりと全体のバランスをとることに全力を傾けている。これもまた鹿島らしい選手の一つの姿である。

こういう精神を持った選手がここ数年、ほとんどいなかった。世代交代によってこのジーコイズムは技術向上の代償として失うことを余儀なくされるのかと半ば諦めていた。しかし、彼らはジーコイズムを失わなかった。いや、もしかすると彼らは彼らなりの鹿島らしさを手に入れたのであって、ジーコイズムを引き継いではいないのかも知れないが、最近の彼らがようやく鹿島らしくなってきたのは確かである。それがジーコイズムの継承かどうかがわかるのはきっとまだ少し先だろう。今は鹿島らしいサッカーを楽しみに見るとしよう。